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備忘録

twitterでは収まらないこと恥ずかしいこと

意識を変えればいいんだ

この状況を楽しむようにしよう、脳を騙すんだ

ひと一人の影響で己のメンタルがぐるんぐるんなってしまうのは我ながら情けない

もっと私は強い

私は誰かのメンタルがぐるんぐるんの時に支える人であって、誰かにべったり寄りかかるような人間じゃないでしょ

そりゃあたまには誰かの肩を借りて休まなければならない時もあるけれど

私は強いから、周りの人と比べてメンタルが不安定になることも疲れることも少ないし、自分を自分の力で元気づけることもある程度できるんだから

もっと自分より人のために生きるべきだと思う、それはエゴかもしれないけれど

ささやまさんは人情の人だもんねって恩師に言われたことを、一生忘れず一生守って生きていきたい

私は大丈夫

暗示だけど、やっぱりそう生きたいという理想でもあるので、頑張るし頑張れる

未だに手首を切りたくなる衝動がある。

モヤついているもの、いやなものが血と一緒に出ていくイメージ。脳内で何回もアムカを繰り返してる。

痛いのは嫌だからだーだーに血が出るほど深く切れないので今日もイメージだけして寝る。

 

2016

一週間は過ぎるの遅いが一年はあっという間じゃの。2016年も終わるでしかし。

毎年何かしらあってそこに引っ張られることは多いが、2016年はまんべんなく色んなことがありすぎた。こんなにも色々ある年は大人になってから初めてだな。

 

2016年のトピックスとして、わたしの世界で一番大好きなバンドBase Ball Bearの世界で一番大好きなギタリスト湯浅将平がいなくなってしまったこと。

とってもつらい。24年間の人生で初めてリアルに死んでしまおうかと思ってしまった。たかがと思われるかもしれないけど。しかしわたしにとって湯浅将平Base Ball Bearをより深く好きにさせた人だし、何よりライブの楽しさを教えてくれた人だった。Base Ball Bearに限らずいまやライブに行きまくっているけど、そもそも以前は好きなアーティストでもライブの魅力はイマイチわからなくて行こうとも思っていなかった。それをこうも、楽しいことを教えてくれてわたしの人生を変えてくれた人で。なのでほんとうにつらいです。

 でもだからといって悲しいことしかなかったわけではなくて。湯浅将平がいなくなってから最初のツアーはサポートギターにフルカワユタカ氏が着いて。恥ずかしながらフルカワユタカというかDOPING PANDAも知らなかったのでこれを機に聴いてみたのですが、まあかっこいいこと!最速でファンになってしまった。とか、ハヤシくんがサポートしたこときっかけで10年振りくらいにPOLYSICSのライブ行ったり、今のサポート着いている弓木英梨乃さんのことが大好きになったり。こんなことが無かったら出会えなかったこともあるわけで。どっちが良い悪いとかじゃないんです。やっぱり湯浅将平がいなくなってからのライブは個人的に熱量が落ち着いてきたなとも思うし。

つらいなってなるの、大好きな湯浅将平がいなくなったのもあるんだろうけど、Base Ball Bearはこの4人こそがBase Ball Bearっていうのをとても打ち出していたからそれが崩れてしまった悲しみもある。

 

 あとは2016身内がマルチのだめなハマり方してまいった。ほんとにこういうことってあるんだなと。マルチトーク抜きにしてもなんか偉い誰がこう言ったすごい誰が尊敬してる誰がとかそんなんで、で結局このひと他人のことばっかでこのひと自身は空っぽになってしまったことに気づいて、さすがにちょっと悲しくなったな。典型的海外age日本sageナチュラリスト極まれり日本の広告is悪みたいな感じで、インターネッツすぎて面白かったけど疲れますわな。

あと一人暮らしはじめてパソコン壊れて部屋も覗かれたな

 

なんかマイナスなことばっか挙がっちゃったけど、2016年とても楽しかった。なにより楽しい人たちと新しく仲良くなれたのが。なんか人間関係総ひっかえな感じだった。

 

 

東京

「東京」というジャンルがとても好きだ。

ありがちなんだろうけど、「なんでもあるけどなんにもない」で「排他的のようで非干渉」で「消費的」で「大事な人を奪っていく」と表現されがちな「東京」が。誰もが夢見がちなのにいざ体感してみるとそんな夢心地なことはなんもない。

自分は関東に生まれ育ったから「東京」という存在は別に特別じゃないゆえ、小説や楽曲で「東京」に対して憧れだったり、誰かが東京に行ってから変わったとか好きな人が東京に行ってしまったとかそういう、東京をきっかけに感情を動かされているのが愛おしく感じる。

「東京」はそこにあるだけで、誰かを拒絶したり受け入れたりすることは無い。人間が勝手にイメージ作って、そのイメージに憧れたり裏切られたり赦されたりしてる。人間の感情によって作られている都市。都市に振り回されている人間。

二面性を持ち合わせているのも良い。華やかな面と寂れた面。モノに溢れ飽和しているのに精神的なところでは満たされないところ。カルチャーが産まれた先から消費されたり。ポジティブとネガティブが同居している空間。

東京をテーマにしている作品なんてたくさんある。昔からずっとある。それだのにいつまでも廃れないのは日々移り変わりが激しいのもあるけど、やはり「東京」ひとつでいろんな面がありすぎて、表現し尽くされることが無いんだと思う。人の数だけ「東京」の顔がある。最高。それで楽しいだけの都市じゃないってのが、掘り下げたくなる気持ちになるんだと思う。刹那的な美しさが「東京」にはあると思うので、自分は「東京」というジャンルが好き。

あのねー色々考えるんですけど……湯浅将平のことを……ほんとやかましくてすみませんけど本当に大好きなので……
ふとしたときに今湯浅将平何しているんだろうとか考えて、でも全然想像できなくて悲しくなったりするんですね

まあしょんぼりするのはいつもの事なので置いておいて……湯浅将平はいなくなっちゃったけど、まずスターがサポートしてくれたでしょ
それでわたしはスターの事が大好きになって、わたしだけでなくて他にもスターのことを好きになった人もいると思うし……
それでスターにとっても、サポートしたことによってバンドからのソロについての立ち位置とか、純粋に制作についての見方とか、わりとターニングポイント的なことを今回インタビューで言っていて

湯浅将平がいなくならなかったらもしかしたら未来永劫田渕ひさ子さんがBase Ball Bearを演奏するなんて無かっただろう、ましてや田渕ひさ子さんのギターでリテイクするなんてことは絶対に無かっただろうことで
今回サポートの弓木さんのこともわたしは大好きになっているし

ほんとにいろんな人が、人が人と人との中で生きてるんだなと思って、いやよくわかんないんだけど
スターのインタビュー読んで、サポートしたことによってこうこうこうで、ってのを見て、生きてる……って思ったんだよね

湯浅将平がいなくなって悲しいし虚無だしもうどうしようもないんだけど、一方でそれによっての新しい出会いがあったわけで わたしにとって
どっちが良いとかそういう話じゃないんだ、湯浅将平がいたら、まだライブに行く前の熱量は高かった、やっぱ最近は穏やかな気持ちになっている
わたしの視界の真ん中にいた湯浅将平がいなくなってしまったから、でもそれによって視野が広がりもした
どっちが良い悪いの話じゃないんだよ
難しい

なんのために生きているのかとか、自分が何かのためになっているのかとか、そりゃ考えちゃうけど。

でもなんのためになんて永遠に明確な100%の答えなんてでなくない?

子供がいたらまた違うのだろうけど、誰かを扶養している環境でも無し。

まあざっくりと自分のために生きているのだとは思うのだけど、自分のために生きるって言い切れるの、相当自分を信用していないとなかなか厳しい。

自分の汚いところ狡いとこと誤魔化しているところぜーんぶ自分が一番知っているから。こんなクソみたいな人のために生きるのかなんて思ったりもする。それを突き詰めるとこんなにクソなら死んでもいいのではなんて考えちゃったりするけども。でもまあやっぱり私はそれはだめだなあと思う。

クソみたいな自分でも仲良くしてくれる人は私にはいるから。その人たちにもまあわたしのクソな部分は垣間見えてる垣間どころかモロ見えてたりもするだろうけど、こいつのこういうとこいけ好かないな嫌だなって思われる時もあるだろうけど。でもトータルで見て、嫌いの比重がまだ好きより重くなってないから付き合ってくれている。とても迷惑かけてると思うし悲しい思いも苛立ちもさせたりしてるだろうのに。

そういう人たちを自分の死のせいで悲しませたくない。生きてる間も迷惑かけてるのに、さらに死んで心労かけるのは申し訳なさ過ぎる。というか、そこまで勝手しちゃいかんわ、と私は思う。

だから自分のために生きる、というより、自分と自分の大事な人のために生きるということか。

 

どうしたってマイナスの部分とプラスの部分がぴったり同じ量あってもマイナスのほうに気をとられる。良いことが10個あったあとに嫌なことが1個あっただけでマイナスのほうに引っ張られる。

だから自分の良いところなんて嫌な部分に気をとられて霞んで見えなくてうまく自覚できないんだけど、自分のまわりにいる人たちは自分の良いところを見つけてくれて付き合ってくれているってことでしょ?嫌な部分が多い人とは付き合いたくないもんね。

だから自分の大事な人が自分の近くにいるってことを、少なくとも自信というか自己肯定というか安心感につなげていいのかもなと思う。

そんでそういう人たちをがっかりさせないように自分の嫌なところを減らしていきたい。

 

こう思えるのも、片想いではなくてほぼほぼ両想いだろうと思える友達がいるからなんだろうなあと。24歳にしてそういう人たちに出会えたってのはとても嬉しいしありがたいし貴重だと思う。